今日から大相撲名古屋場所が始まります。去年の名古屋場所は、新型コロナウイルスの影響で開催されず、東京 両国の国技館に会場を変更して行われました。
本場所の地方での開催は去年3月、大阪市で無観客だった春場所以来、1年4か月ぶりだそうです。
今日は、昨日の朝日新聞朝刊の「スポーツ」欄の「横綱空位 闘った『ボロ錦』」の見出しが目に留まりました。
今場所で白鵬引退、照ノ富士が綱取り失敗になれば、横綱が空位になってしまいます。
横綱が最高位として明文化された1909年以降、番付から横綱が消えたのは2度だけです。
1回目は、1931(昭和6)年5月場所 宮城山引退~1932(昭和7)年10月場所(6場所)
1927年に東京と大阪の相撲協会が合併し、1932年には大量の力士が相撲協会から脱退する「春秋園事件」が起き、横綱空位を6場所で解消したのが玉綿三右衛門でした。
2回目は、1992(平成4)年夏(名古屋)場所 北勝海が夏場所直前に引退~1993(平成5)年初場所 曙が横綱に昇進まで(4場所)
★玉綿三右衛門
・本名 西ノ内弥寿喜(やすき) 出身 高知県
・二所ノ関部屋 1919年15歳初土俵(身長160㎝台)
・猛稽古で出世し、生傷が絶えず、ばんそうこうや包帯だらけで「ボロ錦」と呼ばれた。
・土俵外では「ケンカ玉」の異名を取り、酒やけんかで何度も問題を起こした。
・1929年1月場所では10勝1敗で念願の初優勝。これ以降も9勝2敗が3場所と続くが、大関は見送られる。
・大関時代に3場所連続優勝しても横綱に昇進しなかった。
・32年10月場所後に第32代横綱に昇進。昭和に誕生した最初の横綱。
・年2場所11日制の時代に27連勝を記録。
・横綱時代も身長173㎝。
・在位12場所の勝率は、8割5分を超えた。(104勝18敗1分15休 勝率.852)
・横砂土俵入りの所作が美しく、「動く錦絵」と称された。現在の横綱は横綱土俵入りで足を高く上げるが、これは玉錦に由来する。
・通算で9度の優勝。
・綱を失ったのは1938年。
・巡業先に向かう道中で盲腸をこじらせ、腹膜炎で現役のまま34歳で逝った。
・病床で「まわしを持って来い、土俵入りをするんだ」と言って仰向けのまま土俵入りを行い、最後の拍手を打ったところで息絶えた。
・玉錦の孫弟子の第51代横綱・玉の海も虫垂炎の悪化で27歳で現役で亡くなった。
・玉錦は没後、現役力士としては史上初の協会葬で送られた。
・時代はこの年に新横綱になり、後に歴代最多の69連勝を成し遂げる双葉山へと移っていった。
こんな豪快な横綱がいたんですね。相撲には横綱がいないといけません。
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