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No弐-77 心に残るお話

 今週は、池田小の事件(2001年6月8日)から20年が経ち、各紙でその後を伝えていました。その中で私は、6月6日(日)の朝日新聞の記事が今でも心に残っているので紹介します。

 

・塚本有紀さん(54)は20年前、長女花菜さん(7)を大阪教育大付属池田小学校の事件で亡くした。

・あの日、娘が搬送された病院で医師から言われた一言は忘れられない。

 「傷が脊髄まで達していた。助かっても普通の生活はできなかったでしょう」

 

・2008年春、幼稚園年中になった長男を車で送り届ける途中、道に止まる特別支援学校の送迎バスをよく見かけた。子どもと見送りの母親を見るうちに思った。

「もし娘が命を取り留めていても、介護が必要になったかもしれない。何かできることはないか」

・2009年春から専門学校に通い、ホームヘルパー2級を取得。障害のある子どもの介助や高齢者の介助の仕事を始めた。2013年には介護福祉士の資格も取った。

・今、兵庫県伊丹市のデイサービス施設で介護スタッフとして働く。

 

・高齢者との出会いの中で心に残る出会いがある。2016年ごろデイサービス施設で親しくなった90代の男性だ。中学校で教師をしていたと聞く。

・事件の日が近づいた5月、物静かな男性が、ぼそっと口にした。

 「また6月が来ますね」

 なんで事件のことを知っているんだろう。

 「私は大っぴらにしてないです」と塚本さんが答えると、男性は話をやめた。

 

・別の日、北海道旅行に行く話を男性にした塚本さんが長男に流氷を見せてあげたい、と話すと、返事がない。

 「僕はあんまりいい思い出がない」と男性は語り始めた。

 

 第2次世界大戦後、シベリアに抑留された。友人が強制労働させられた極寒の地の水辺で、凍った水面から脱走を図り、水中に落ちた。

 友人は、「お母さん!お母さん!」と叫びながら、消えていった。

 

 思いがけない話に、塚本さんは誤った。男性は言った。

 「生きるってことは、いいことばかりじゃない。つらいことの方が多いと思うわ」

 

・男性はその後、人生の最期を迎える施設に入ることになった。デイサービスを利用した最後の日、塚本さんが車で自宅まで送った。

 到着して車を止めた時、助手席にいた男性は、穏やかな表情で言葉を紡いだ。

 

 塚本さんが一生懸命働く姿を見て、胸が苦しくなった時が何度もあった。

 僕はそろそろ体がおいとまする時が来たので、花菜ちゃんに先に会うと思う。

「お母さん、頑張っていたよ」と言いたいし、花菜ちゃんと2人で見守りたい。

 

 男性は涙を浮かべていた。男性は車を降りて自宅に入る時、塚本さんの手をそっと握ってくれた。涙が止まらなかった。

 「悲しみをずっと抑え込み、しんどい思いをしている人がたくさんいた。つらいのは自分だけじゃなかった」

 

・娘との時間は、20年前に止まったままだ。娘の同級生や保護者から大学入学や成人式の話を聞くと、同じように祝ってあげたかった、と思う。殻に閉じこもる時もあった。

 ただ、介護施設の利用者から「ありがとう」「助かりました」と言葉をかけられると、娘のニコッとした笑顔がふと頭に思い浮かぶようになった。

 「次、頑張るね」と明日の原動力になった。これからも介護の仕事を続けたい。

 そして、天国で娘と会えたとき、胸を張りたい。

 

 花菜ちゃん、ママ、さぼってなかったでしょう。やれることはちゃんとしてたでしょう。

 

 いかがでしたか?新聞を読んで涙が止まらかったのは初めてかもしれません。