· 

No弐-49  5月15日

 5月15日と言うと何が思い浮かびますか?私は「五・一五事件」かしら。

 1932(昭和7)年5月15日、武装した海軍の青年将校たちが首相官邸に乱入し、時の内閣総理大臣・犬養毅を殺害した反乱が五・一五事件でした。

 彼らの目的は、東京を混乱させて「戒厳令」の施行を余儀なくさせ、その間に軍閥内閣を樹立して国家の改造をすることでした。

 首相官邸、内大臣官邸、立憲政友会本部、三菱銀行、警視庁、数ヶ所の変電所などを襲撃する計画でしたが、首相官邸以外は大きな被害は出ませんでした。

 

 5月15日当日は日曜日で、犬養は来日していたチャールズ・チャップリンとの宴会の予定変更を受け、終日官邸にいました。

 首相官邸を襲撃したのは9人。表門組と裏門組の二手に分かれて、午後5時27分ごろ官邸に侵入。

 犬養は、彼らを連れて食堂から和室の客間に移動させ、自身の考えやこれからの日本のあり方を話し、説得しましたが、問答の最中に銃撃されました。

 彼らはすぐに立ち去りましたが、犬養にはまだ息があり、駆け付けた女中に「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせる」と強い口調で語ったそうですが、深夜になって息を引き取ったといわれています。

 

 世論は、政党政治の腐敗に対する反感から、犬養にも責任があるとして、犯人である青年将校たちに同情的で、助命嘆願運動が巻き起こるほどでした。

 その結果、「五・一五事件」に関する裁判の判決は軽いものとなり、4年後に起きる「二・二六事件」の原因のひとつになりました。

 

 今日の朝日新聞「オピニオン&フォーラム」は「五・一五事件の教訓」として、小山俊樹教授(帝京大・日本近現代政治史)がこんなことを言っています。

「政治が格差を是正できない、経済政策も国民にちゃんと説明しない…。

 そんな中で国民が将来に希望を持てず、絶望感が蔓延していると、何らかの大きな転機があれば、そちらになびいてしまう。それが五・一五事件でした。

 このようなテロは現代日本では考えにくいとしても、経済・社会的な格差は社会を不穏にする。現代への警告にもなり得る事件だったと思います。」

 

 他にもこんなことがありました。

・沖縄本土復帰記念日 1972(昭和47)年5月15日沖縄の施政権がアメリカから日本に返還され、沖縄県が正式に誕生しました。

 

・1974(昭和49)年5月15日、 江東区・豊洲にセブンイレブン第1号店がオープンしました。初日の利用者は約800人で、最初に売れた商品はサングラスだそうです。

 

・1993(平成5)年5月15日、日本初となるプロサッカーリーグ・Jリーグが開幕しました。開幕戦は、ヴェルディ川崎 vs 横浜マリノス。1対2で横浜マリノスが勝利。

 

・聖徳太子が推古天皇の摂政に就任。593年5月15日

・「笑点」放送開始。1966(昭和41)年5月15日