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No弐-7  沢村忠さん 

 今週末は、私の大好きな2人が亡くなられたので取り上げたいと思います。

 今日は、「キックの鬼」と呼ばれ、国民的な人気を誇った伝説のキックボクサー沢村忠さん。ご存知ですか?

 3月26日78歳で亡くなられたことを4月2日(金)のスポーツニッポンの記事を読んで知りました。

 

・日大芸術学部時代は空手四大流派の一つ剛柔流で、全日本学生選手権を制覇するなど無敵を誇った。

・その後、キックボクシングの名称を考えた野口ジム会長の野口修氏と出会い、転向。

・1966年4月11日日本キックボクシング協会の旗揚げ戦で、目黒ジムからリングネーム「沢村忠」でデビューした。

・高くジャンプした状態で相手の後頭部辺りに膝で打ち込む「真空跳び膝蹴り」で一世を風靡。

・自らの半生が描かれたアニメ「キックの鬼」(梶原一騎原作)はテレビ放送で30%超えの高視聴率を獲得。爆発的な人気を集めた。

・1973年には「日本プロスポーツ大賞」受賞。

・1977年に引退した後は、都内で整備工場を経営する傍ら、町道場で子どもたちにキックボクシングを教えるなど普及にも携わった。

・現在でも「ポケットモンスター」に登場する「メガトンキック」などを得意とする「サワムラ―」のモデルとされるなど、伝説は生き続けている。 

★二宮清純氏の特別寄稿が面白かったので紹介します。

・TBS系列でウルトラマンがスタートしたのは、1966年7月である。この3か月前、日本キックボクシング協会が旗揚げされ、沢村忠なるキックボクサーがデビューした。

・ウルトラマンと沢村には共通点があった。ともに相手を一瞬で仕留める必殺技を有していた。ウルトラマンがスペシウム光線なら、沢村は真空跳び膝蹴りである。私たちの世代の男性は、この2つの技を真似しなかった者は、まずいないだろう。

・スペシウム光線は手でポーズを真似るだけだから、人さまに迷惑をかけることはない。

・だが、真空跳び膝蹴りは違った。放課後の教室ではガラス窓が割れ、路上の車のボンネットはへこみ、家では鼻血を流す弟がいた。

・ある日突然、四国の片田舎の小学校では「真空跳び膝蹴り禁止令」が出された。なぜデストロイヤーの「4の字固め」はよくて、沢村の跳び膝蹴りはダメなのか。

・校長いわく「学校は鬼を育てる場所ではない」。子どもたちのヒーローである〝キックの鬼〞は先生方には迷惑なシロモノだったのだ。

・241戦して232勝(228KO)5敗4分け。勝率9割6分3厘。

・試合終盤、真空跳び膝蹴りがタイ人のアゴに突き刺さる瞬間をテレビの前で固唾をのんで見守った。

・フィニッシュと同時に流れるYKKファスナーのCM。「締まりがいいな」。フフッと笑って死んだオヤジは言った。

・回し蹴りを放つ際、やや短めの白いトランクスから筋肉質の臀部がのぞくのだが、これが〝躍動美の極み〞と呼べるほど美しいのだ。  

・挌闘を芸術の域まで高めた男・沢村忠。昭和のヒーローが、またひとり鬼籍の人となった。