今日の朝日新聞朝刊に久々に「飲みニケーション」のことが載っていました。
「新型コロナ禍で、めっきり減ったものの一つが飲み会だ」確かに、その通りです。
「飲みにケーション」については、No154(2018年11月27日)・155(28日)・156(29日)で紹介しました。
「飲みにケーション」には、①ランチョン効果 ②打ち明け合い効果 ③一人じゃない効果 ④近付き効果 ⑤転地効果 ⑥お酒でイエス効果がありました。
出入り口にカウンターバーがあり、帰りに各自冷蔵庫から取り出してコミュニケーションが始まる会社、誕生会をやる会社、他部署の社員と初めて飲む場合には一人3000円の補助が出る会社、毎月1回金曜日の夜に飲み会を社内で開いている会社。
他にも「ビフォー6」として、週に1度ランダムに決めた3,4人でランチを食べる制度(ランチ代は会社持ち)がある会社、隔週の金曜日の夕方4時半から6時まで会を開く会社、毎日3時から15分間仕事を中断し、一斉に休憩を取り、体をほぐしたり、コーヒーブレイクをしたりする会社などを紹介しました。
★「飲み会」はどこから来たのか?
・「飲み会」はこの国でコミュニケーションの場として古くから機能してきた。
・既に平安時代には、国司が新任の国に入る際は国境で、土地の人間が酒食を提供し、名産品などを贈る宴会が行われた。外部から来た人をもてなすと同時に、その共同体に入ったことを象徴する意味があった。
・宴会のもう一つの特性が「無礼講」。この場合は参加者は平等で、そこでは身分の格差はなく、「公」でも「私」でもない場で密談が行われた。
・明治の社会は気のおける異郷人と、明日からすぐにでも共に働かなければならぬような社交であった。(柳田国男)
・その流れは近代化とともに加速し、戦後の高度経済成長期には「飲み会」と「コミュニケーション」を組み合わせた「飲みニケーション」という言葉も流行した。
・日本では宴会が組織の結束を高めている。(エズラ・F・ヴォーゲル)
★飲み会はどこへ向かうのか?
・社会の変化にともないお酒と人々の関わりも変わってきた。「飲めるけど飲まない」という人が20代の4分の1、30代の5分の1に達する。(2019・厚労省)
・組織内や仕事上の飲み会を交流と位置づけ、関係性が深まるという意見は根強いが、女性へのセクハラやパワハラの温床になってきた面も見過ごせない。
★お酒の関する著作の多いライターのスズキナオさんの話
・女性がひとり酒を楽しむ漫画がヒットするなど、お酒の楽しみ方も多様化していた。
・コロナ禍によって、人と集まって飲むことの意味が問い直されている。
・野外にイスを出してお酒を飲んだりくつろいだりする「チェアリング」
・コロナ禍で生み出されたオンライン飲み会は、離れた場所や子育て中の人も参加できるなど、利点もあって、今後も残ると思う。
・一方で会話をするという目的がむき出し過ぎる。
・同じものを食べたり、同じ空間にいたりすることで生じる雑音や無駄が飲み会の味わいだった。
・お酒が飲める余地が一切ない社会は息苦しい。
・「お酒の力を借りる」というようなお酒を何かの手段にするのを控えて、お酒の持つ「ゆるさ」自体を楽しめないか。
・大切にしたいのは「飲んでもいい」という自由さだと思うんです。
★恋愛相談やジェンダーに関する著作がある文筆業の清田隆之さんの話
・お酒を飲まない飲み会の翌日も快調。
・でもお酒をやめたことが効率やコスパ重視という考え方と結びついているのが気にかかる。
・逆説的だが、後先を考えず、「いまこのとき」を楽しめることこそがお酒の良さだった。
・なかなか変わりは見つからない。
皆さんは、お2人の話を読んで「飲みニケーション」についてどう考えますか?
お酒もお茶も飲みニケーションだと思うのです。いい教育をしたいなら、いい飲みニケーションができる先生であってほしいと願っています。それが子どもへの手本です
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