今日のスポーツニッポンの記事に感動したので紹介します。見出しは「高倉健さんの心を動かした10歳の勇者」
「震災から3日後に撮られた1枚の写真。水を運ぶ10歳の少年。歯を食いしばり歩く姿が多くの人の胸を打った」という記事です。この写真、ご存知でしたか?
・当時母や姉、祖父母や叔母家族ら13人がひとつ屋根の下で何不自由なく暮らしていた。
家のあった鹿折地区は高さ11.5mの巨大津波に襲われ、206人が犠牲になった。
・家族は全員無事。だが、家は流されてきた船の下敷きになって押しつぶされた。
・そろって親族宅に身を寄せたが、市内は断水。
・両手に持った特大の焼酎ボトルは「男手が自分を含めて3人しかいなかったので、10歳ながらも役に立ちたくて水をくみに行った時のものです。」
・ピンクの長靴は親族宅の女性用のもので、それを借りて井戸まで片道20分かけて歩いた。
・手動のポンプからはチョロチョロとしか水が出てこない。かじかむ手でレバーを50回ほど上下させて4Lのボトル1本が満タン。1日3往復以上した。
・転がっていたくぎを踏んだ時があったが「危ないからもう行くな」と言われたくないので母に黙っていた。だから歯を食いしばって毎日水を運んだ。長靴は破れて履けなくなった。
・親族宅を離れてから仮設住宅に移り住むまでは家族13人で6畳1間のアパート暮らし。備え付けのクローゼットに体を押し込んで居場所を確保した。
・その後は祖父母らと離れて母、姉と3人で仮設に移った。
・全国から激励の手紙が300通以上届いた。13年4月には高倉健さんからも手紙をもらった。
・健さんは「水を運ぶ少年」の写真を出演映画の台本に貼り付け、毎日見ていたという。
・手紙には「遠くからですが、あなたの成長を見守っています。負けないで!」
・つらい時には仮設のトイレにこもって何度も読み返した。
・この翌年、健さんは亡くなったが今でも感謝の思いを忘れたことはない。
・「水を運ぶ少年」の松本魁翔さんは、高3の時、震災時に足が悪くて逃げ遅れた高齢者が少なくなかったと知り、「悲しむ人を減らす手助けをした」と思うようになった。
・お年寄りらにリハビリを行う理学療法士になると決めた。
・現在は2年後の国家試験を目指し、仙台市の4年生の専門学校に通う。
・「自分のがんばる姿を見てもらうことが家族や応援してくれた人への恩返し」
・将来は故郷に戻って働くつもりだ。
「歯を食いしばる」大切さを教わった気がします。この1枚の写真を使って授業してみませんか?
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