11月25日(水)の読売新聞朝刊に「雷電」のことが紹介されていました。
雷電為右衛門(1767-1825 本名・関 太郎吉)は、長野県東御市出身の元大相撲力士。
通算成績は254勝10敗(34場所)、勝率.962の大相撲史上最強力士と言われています。
優勝相当成績通算28回、9連覇、44連勝(史上8位)、30連勝以上を4回、1場所で2敗が一度もなし、同じ相手に2度負けたのは1人のみという伝説的な強さです。
体格は、197cm、169kg、左利き。当時の力士としては高い教養の持ち主で、「諸国相撲控帳」(雷電日記)、「萬相撲控帳」を残す。
酒豪としても知られ、長崎で清の学者と飲み比べを行い、2斗(36リットル)の日本酒を飲んで飲み勝ち、酩酊しなかったそうです。
さらに、峠の道が狭いので荷馬を担ぎ上げて大名行列を通したとか、庭先で母が風呂桶に入っていると急に雷雨があり、風呂桶に母を入れたまま家の土間に担ぎ込んだとか、「かんぬき」によって相手力士の腕がへし折られたという怪力エピソードがあります。
1790年11月に初土俵を踏んでから今年で230年になるそうですが、なぜかこんなに強いのになぜ横綱になれなかったのか?
①推薦を辞退したとする説
②共に免許を受けるべき実力的に釣り合う相手がいなかったためとする説
③上覧相撲の機会を得なかったためとする説
④雷電の抱え主・雲州松平家と吉田司家の主家・熊本細川家の対抗意識によるものとする説
⑤容姿に恵まれなかったためとする説
雷電から数えて8代目当主の方は、出しゃばる人がらではなく、争いは避け、横綱称号をあえて求めず、大関で十分と考えたのではないか。
どれも決め手がありませんが、ミステリーのままの方が語り継がれるていいかもしれませんね。
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