· 

No537  今川氏豊と今川氏真

 先週の日曜日は、今川義元の記事を紹介しました。そこで思いついたのが、長谷川ヨシテルさんの「ポンコツ武将列伝」です。あるじゃないですか?今川氏豊と今川氏真。ご存知でしたか?氏豊が弟で、氏真(うじざね)が息子です。

 

 氏豊さんは、分家した那古野今川家の養子に入り、柳の丸野城主になるのですが、この柳の丸は、後に那古野城、江戸時代には、名古屋城になり、尾張徳川家の居城になります。

 

 この氏豊さん、成長とともに連歌にはまります。そして連歌友達ができるのですが、それがなんとあの信長の父織田信秀だったのです。敵対関係と身分を超えて親密になりました。

 

 そしてある時、自分の城に信秀の部屋を作ってしまいます。その後、信秀は部屋の改築を勝手に進め、ある日信秀は、大病(仮病)で倒れると、家臣が集まり、それを機に攻め込んだのです。今川軍は準備が間に合わず、あっという間に打ち取られてしまいました。

 

 氏豊は命乞いをして、京都に逃れ、駿河の兄の義元の所に戻りました。武将には向いてなかったんでしょうね。

 

 息子の氏真さんです。桶狭間の戦いで父義元がなくなると、三河と遠江の家臣たちが独立・離反を始めます。そして、少しでもこのうわさが出た者を粛正することで事態を収拾しようとしたのですが、全くの逆効果。

 

 これをチャンスと見た同盟を結んでいた武田信玄は、同盟を破棄し、侵攻してきました。家康も手を組んだのです。そして、本拠地は一日で攻め落とされました。

 

 氏真さんは、掛川城に逃げるのですが、家康によって包囲されますが、信玄がまたチャンスと思い、遠江の侵攻を始めたので、掛川城を開城します。

 

 氏真さんは、奥さんの父北条氏康を頼って小田原へ。しかし父はすぐに亡くなり、後を継いだ氏政は、信玄と同盟を結ぶので居場所がなくなります。

 

 そして家康が治める浜松へ。そこで蹴鞠、和歌、茶道に親しみ、京都に上洛し、父の敵・信長の前で蹴鞠を披露したそうです。和歌は1700首も残したそうです。

 

 その後、7年ぶりに城主になるのですが、すぐに解任され、浜松にまた戻されるのですが、晩年京都に引っ越し、最後は江戸へ移住し77歳で亡くなりました。

 こちらも武将のセンスはなかったんでしょうね。