学期末でお忙しいことと思います。今日はいい天気8ですね。ぜひ食後に息抜きしてください。
12月2日(月)の朝日新聞朝刊の「文化の扉」は今川義元についてでした。「今川義元 実は切れ者」の見出しが目に留まりました。
「バカ殿のルーツだなんて、とんでもない。今年で生誕500年の戦国武将、今川義元をご存知か。天下統一を目指す織田信長の引き立て役とは、後の語り部の都合が生んだ虚像。『海道一の弓取り』の異名通り、できる男だった。」と紹介しています。
他にもエピソードをいくつか紹介します。
・公家ルックスの軟弱なイメージ 烏帽子と狩衣を身に付け、顔は白塗りにお歯黒。輿に載って出陣 (文献は見当たらない)
・ビジネス戦略に長じた武将
・多くの兄たちがいて幼少期は仏門に入ったが、家督争いに勝ち、18歳で当主に就く。
・金山を開発、公家への贈り物に活用していた。
・陸海に関所を設け、伊勢湾地域の海上交通の利益を得る。
・将軍家と密接な関係。12代将軍の足利義晴の「義」を名前にもらう。
・公家との婚姻関係を生かし、和歌などの京文化をもたらす。
・武田信玄、北条氏康とそれぞれ息子と娘を結婚させて、三国同盟を結び、勢力を伸ばす。
・人質にした幼少期の徳川家康に英才教育を施す。
・桶狭間の戦い 義元上洛途中→尾張への遠征、今川軍4万5千→2万5千、
義元の陣 くぼ地→山の上、奇襲作戦は明治の陸軍参謀の仕立て?
結構歴史は、作り替えられていることが多いかもしれませんね。
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