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No510  徳川トリビア3

 11月13日(水)の読売新聞朝刊の文化面には、磯田道史先生の「古今をちこち」が毎月連載されています。今月の「尾張藩主の連続死」という見出しが目に留まりました。

 磯田先生のことは、今年の3月末に朝日新聞の「仕事力」から紹介しました。大学時代、図書館の本全ての制覇を自分に課したり、テレビでもわかりやすい解説が魅力の人です。

 

 長谷川ヨシテルさんの「ヘッポコ征夷大将軍」が面白く、2月末に徳川クイズと3月初めに「徳川トリビア」で家康、家光、綱吉、吉宗、慶喜、在位50年の家斉、4歳で就任した家継のことを紹介しました。久々の徳川トリビアです。

 

 8代将軍吉宗の将軍就任に際しては、数々の不審死がありました。

吉宗は、四男でしたが、父と兄たちが同じ年に次々と亡くなり、紀伊藩主になります。

 

 尾張では、藩主徳川吉通が、あの歴代最年少将軍家継の後見を務めていました。

  吉通は、奥田忠雄という側近を小姓から取り立て急に出世させました。

 

 この奥田は、吉通の欲望に何でも応えました。

①吉通が下屋敷に赤坂のトコロテンを売る町料理屋の娘を連れ込むと、奥田は娘の父を百五十石の尾張藩士にした。

②吉通が水泳の稽古をするといえば、八百両(約2億円)かけて、5×27mの水船を造った。「水が冷たい」というと大釜八口かけてぬるま湯を沸かした。(日本初の温水プール) 

 吉通は一度入っただけで、お払い箱。その年は、台風水害と大地震がありました。

 

 その後を見てみると

1711年 奥田が亡くなる。(女中に刺されたという噂)

1713年 吉通(25)夕方4時に腹部の痛みを訴え、4時間後に死んだ。

     娘徳姫にも側衆はその死を隠したが、毒殺を疑う。

 

2カ月後 吉通の子・五郎太(3)が死んだ。

その9日後 奥田の跡を継いだ弟(25)が死んだ。   

 

「果たして藩主の連続死は自然死だったのだろうか。」と結んでいます。

 ミステリー、サスペンス好きの人は、ワクワクしますよね。