今日もラグビーにおつきあください。今日は、「横浜ラグビー物語 中」からです。
日本では、1899年に慶応の学生が国内で初めてプレーしたとされており、慶大ラグビー場には記念碑が建てられています。
1899年(明治32年)秋、慶大の英語講師だったエドワード・クラーク先生が体を持て余している学生にラグビーを教えようと思いつき、ケンブリッジ大で一緒にプレーした田中銀之助さんにコーチ兼通訳をお願したのが、始まりとされています。
なので田中銀之助さんは「日本ラグビーの父」と称されています。「今日はフェアに戦ったか」が口癖だったそうです。
曾孫の田中真一さんも慶応のラガーマンで選手・指導者として活躍されました。
田中さんの監督・指導者として一貫して伝えてきたことは、
「①相手へのリスペクト」「②ルールの順守」「③妥協のない努力」
勝利至上主義ではなく、実に教育的だと思いませんか。③は簡単にはできませんが、①②なら日常の体育指導の中でも教育できますよね。
さらに慶応蹴球部には、「希求三箇条」というものがあるそうです。
①身・心・知・極限の鍛錬
②切磋琢磨からの友情
③社会の範たる品格
鍛錬・友情・品格 小学生にはまだ早いかもしれませんが、この3つの芽なら出せると信じます。
タイミングよく昨日のTV番組の「アンビリーバボー」は、慶応のラガーマンの話でした。ご覧になりましたか?
1年の合宿の練習試合で頚椎・頸髄を損傷し、医師から「二度と歩けない」と宣告されます。
しかし、その後リハビリに励み、少しずつ歩けるようになります。
そして、4年生になり、分析係として復活し、早稲田に勝利します。
今年8月、杉田さんは、ラグビー部の仲間たち約80名と共に、12年越しの約束を果たすべく富士登山へ挑み、山頂に立ちます。
感動しました。ぜひ子どもたちにも見せてあげたい。生きた道徳です。
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