· 

No458 ラグビーW杯3

 今日もラグビーにおつきあください。今日は、「横浜ラグビー物語 中」からです。

   日本では、1899年に慶応の学生が国内で初めてプレーしたとされており、慶大ラグビー場には記念碑が建てられています。

 

   1899年(明治32年)秋、慶大の英語講師だったエドワード・クラーク先生が体を持て余している学生にラグビーを教えようと思いつき、ケンブリッジ大で一緒にプレーした田中銀之助さんにコーチ兼通訳をお願したのが、始まりとされています。

   なので田中銀之助さんは「日本ラグビーの父」と称されています。「今日はフェアに戦ったか」が口癖だったそうです。

 

   曾孫の田中真一さんも慶応のラガーマンで選手・指導者として活躍されました。

 

   田中さんの監督・指導者として一貫して伝えてきたことは、

「①相手へのリスペクト」「②ルールの順守」「③妥協のない努力」

   勝利至上主義ではなく、実に教育的だと思いませんか。③は簡単にはできませんが、①②なら日常の体育指導の中でも教育できますよね。

 

   さらに慶応蹴球部には、「希求三箇条」というものがあるそうです。

 ①身・心・知・極限の鍛錬

 ②切磋琢磨からの友情

 ③社会の範たる品格

 

   鍛錬・友情・品格 小学生にはまだ早いかもしれませんが、この3つの芽なら出せると信じます。

 

   タイミングよく昨日のTV番組の「アンビリーバボー」は、慶応のラガーマンの話でした。ご覧になりましたか?

   1年の合宿の練習試合で頚椎・頸髄を損傷し、医師から「二度と歩けない」と宣告されます。

  しかし、その後リハビリに励み、少しずつ歩けるようになります。

 

   そして、4年生になり、分析係として復活し、早稲田に勝利します。

   今年8月、杉田さんは、ラグビー部の仲間たち約80名と共に、12年越しの約束を果たすべく富士登山へ挑み、山頂に立ちます。

 

   感動しました。ぜひ子どもたちにも見せてあげたい。生きた道徳です。