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No280 東洋の魔女2  

今日は、大松監督のエピソードを紹介します。

 

・レシーブ練習でへたっていると真冬なのにバケツの水をかけられた。

 

・「おれについてこい」という著書があるが、一度も言われたことはない。

 

・「大松のバカヤローっ」と叫んで体育館を飛び出し、再びコートに戻ると、微笑んでいて、何事もなかったように練習は続いた。

 

・月1回映画に連れていき、その後の食事やデザートまでポケットマネーで振る舞った。

 

・監督より河西主将の方は厳しかった。

 

・監督は、大事な場面で人としての尊厳を傷つけることは絶対に言わなかった。

 

・監督は、年齢や体力、性格などをよく見て、投げるボールもかける言葉もその都度違っていた。

 

・日々の練習をパターン化させることなく、次々と新しい練習法を考えて試す。

 

・監督の厳しさにはすべて理由があり、殴る蹴る指導者とは違った。

 

・監督は6人きょうだいの長男で姉と弟、妹が3人。父は小学校の校長、のちに町長、母のしつけは厳しかった。帰省すると去り際に必ず「お母さん頼むで」と妹に頼んだ。

 

・監督には2人の娘がいた。帰ってくるのが未明か明け方でほとんど顔を合せなかった。

 

・家で大きな声を出すことはなく、お酒が飲めず、何事にも慎重で心配性。いつもまじめで一徹。

 

・監督に就いた時は、ボールを追うのを諦めるなど誰かが根性のない時は、全員集められ、並んで顔を平手打ちされたり、ほうきで尻を叩かれた。そのうち叩くこと自体がなくなった。

 

・1日2千から3千本。選手の何十倍ものボールを投げ、打ち続ける根性の持ち主だった。 

 

・普段は無口だけど、一人ひとりをあだ名で呼び、近づくときは冗談を言って気持ちを和ませた。

 

・遠征に行くと必ず土産を買ってきてくれた。

 

・1日の睡眠時間は3~4時間。家も遠かったのでもっと寝ていないはず。

 

・世界一の強さもチームワークも100%確実に、正確にできるようになるまで繰り返す練習から生まれた。

 

   昭和の匂いがプンプンしますね。令和になったら、どんどん忘れ去られていくのでしょう。でも私は同じ昭和に生まれてよかったと思っています。