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No278  伊藤博文さん 

   3月31日、いよいよ今日で平成31年度は終わりますね。今年度はいかがでしたか? 

 明日は新元号が発表されると思うとワクワク、ドキドキしますね。 

 

   今宝塚の幕間です。花組の「CASANOVA」を観にきています。 

   18世紀の稀代のプレイボーイ、ジャコモ・カサノヴァの話です。この人は、ヴェネツィア出身の術策家であり作家。その女性遍歴によって広く知られています。 

 

   日本のカサノヴァということで、今日は、長谷川ヨシテルさんの「ポンコツ武将列伝」の中から、初代内閣総理大臣で有名な伊藤博文さんの知られざるエピソードを紹介します。 

 

 1841年山口県の周防の百姓の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾で才能を磨き、長州藩で頭角を現し、明治政府では要職を務め、44歳の若さで初代の首相になります。44歳は歴代1位です。確かに若いですね。 

 

   もう少し補足しますと、明治維新後26歳で兵庫県知事に就任します。総理大臣も4回も務めています。

   内閣制度の導入、帝国大学の設立、治外法権撤廃、下関条約の調印、初代韓国統監、最後は満州ハルピン駅で安重根によって3発の銃弾が撃ち込まれ、暗殺されます。そして、日比谷公園で盛大に国葬が営まれました。 

 

 さて、本題です。博文さんの女好き伝説はご存知でしたか? 

   ついたあだ名は「箒(ほうき)」。これは掃いて捨てるほど相手の女性がいたということに由来し、カサノヴァと同じく千人の女性と関係を持ったと自分でも豪語していたそうです。 

 

 特に芸者が好きで、最初の奥さんとの離婚原因が芸者さん(17歳)との不倫。その後、その芸者さんと再婚しますが、芸者遊びはやめません。

   それには、奥さんは文句をあまり言わなかったどころか、お土産を持たせたくらいです。 

 

   給料は、ほとんど芸者さんに注ぎ込んでしまったので、私財が全然なかったそうです。 

   それを見かねた明治天皇に「(芸者遊びを)少し慎んだらどうか」とたしなめられたそうです。 

 

    今でも首相官邸があり、歴代の総理大臣が住んでいますが、実は、博文さんが女遊びにお金を使いすぎてしまい、家がなくなりそうになり、政府としては、首相が家なしでは困ると判断し、早急に首相官邸を建設したと言われています。 

 

   歴史に名前を残す人の多くは、別の顔を持っていることが多いのですね。