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No253  新元号 3

 今日は、雨水以来の啓蟄です。春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫が外に這い出てくるころのことを言います。

   朝ウオーキングをしていると、桜が咲いてるではありませんか?植物オンチの私のことですから、よくわかりませんが、寒桜でしょうか?

 

  さて、今日も2月26日の読売新聞朝刊に「基礎からわかる元号」から紹介します。

 

 「平成までの道のり」に焦点を当てます。

 先の大戦の敗戦後、元号は法的根拠を失います。元号は、GHQが明記を認めなかったとされています。そのため、昭和22年5月3日、元号に関する規定のない日本国憲法、皇室典範が施行されることになります。

 規定がないのですから、天皇が崩御すれば元号は昭和を最後に消滅する恐れがあったなんて知りませんでした。

 

 政府は、昭和52年に「元号の関する世論調査」を行うと、88.6%が主に元号を使っていると答えました。皆さんはどちらですか?私も元号派です。

 

  そして終戦から30年以上を経て、昭和54年6月6日に元号法が成立しました。

内閣が元号を決めることと「一世一元」制を続けることにしたのです。

(昔は、天皇一代で平均2.8回改元したそうです。一世一元は明治になってからです。)

 

    昭和からの改元に向けた準備作業は極秘裏に勧められました。改元は天皇の崩御を前提とするため、表立って議論することはタブーだったのです。

 

   昭和63年9月に昭和天皇の様態が急変すると、「平成」「修文」「正化」の3つに候補が絞られました。

 

   昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御すると有識者が8人集められ、6人が「平成」を推したそうです。

   その後2時35分小渕さんのあの記者会見で「平成」を掲げたことは、今でもはっきりと覚えています。

 

    あの文字が生渇きで墨の香りが漂っていたこと、小渕さんが待機中のホテルで風呂上がりを急かされたため、髪型がいつもと違い膨らんでいたなんてエピソードは知りませんでした。

 

   政府は依頼した学者、内容や数、3案に絞った過程などを現在も公表していません。

   このへんの経過を映画にしたら面白そうですね。(明日につづく)