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No226  小島慶子さん

 昨日紹介した小島慶子さんのことが少し気になったので、調べてみました。

 小島さんは、40歳を過ぎてADHDと診断され、カミングアウトしました。「今はギフトと思える」と言っています。

 

  小島さんの小学校の様子です。

「私は家でも学校でも、ひどい問題児でした。まず、落ち着きがない。常にもじもじして、じっとしていられない。声を出してはいけないところで出したり、グネグネしたり(笑)。それから、嫌なことに耐性がまるでなくて、受け流すことができずにすねて周囲を困らせたり、かんしゃくを起こしたり、駄々をこねたり」

 

 15歳の時に、お姉さんが結婚して家を出ると、母親の関心が集中するのが恐くて拒食症になり、過食と嘔吐を繰り返すようになったそうです。

 

 30歳の時には、産んだばかりの長男を強く抱く母に嫌悪感を覚え、母親が連絡してくるたびに熱を出したそうです。

 

   次男出産後、職場復帰への不安も重なって不安障害になりました。カウンセリングで親子関係を見直し、7年も母親とは顔を合わせなかったそうです。現在では、母親との確執は解消しているそうです。

 

 そして小島さんたち家族は、2014年夫の退職を機に生まれ、幼いころを過ごしたオーストラリアに移住します。以来、小島さんは日本とオーストラリアを行き来する生活を続けているそうです。

 

「ADHDなど発達障害の特性を抱えた子がいる家族は、いろいろな苦労がある。崩壊してしまう家庭もある。いけないとわかっていても子どもに対して声を荒げてしまったり、手を出してしまったりすることがある。家族も当人も、追い詰められてしまう。」

 

「発達障害の特性が出やすいのって、親密な間柄の場合が多いんです。仕事先など公の場より、気が緩んでるプライベートで。衝動が抑えられず、しゃべりすぎたり、きつい表現になったり。」

 

「父も母も姉も、そして私も、みんな困っていたんですよね。普通でなくちゃいけないと思い込むとしんどい。でも普通の家族とか普通の育児って、なんでしょう?」

 

「彼ら(息子たち)もこれからたくさんの人と出会い、付き合うことでしょう。そのときのために、自分の母親が発達障害や不安障害など、困り事を抱えて生きているのを間近で見られたのはいい経験だと思う。『ママはその一サンプルだよ』と話しています。『同じ障害でも、困り事は人それぞれなんだよ』と念を押して」