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No106 二宮金次郎  

月曜日の新聞に「道徳ってなんだっけ?」という記事が載りました。そこに二宮金次郎の記事が目に留まりました。皆さん、二宮金次郎ってご存知ですか?

   金次郎は、1787年に小田原市の農家に生まれ、1856年に栃木県今市で70歳で亡くなりました。

   生まれた頃は裕福でしたが、川の氾濫で田畑を失い、父親は金次郎が14歳で亡くなり、早朝は薪を拾い、昼は田畑で働き、夜は草鞋を作って、一家4人を支えます。

    2年後、母親は16歳の時に亡くなります。そこで叔父に預けられます。ある夜、明かりをともして本を読んでいると叔父に「お前は誰のおかげで飯を食っているのだ。油がもったいない。」と怒られます。

 そこで、金次郎は、空き地に菜種を植え、できた菜種と油を交換して本を読むのですが、また叱られます。それから薪を背負い歩きながら本を読むことになったのです。

   それがあの銅像で、目白小にもありました。

    やがて金次郎は、叔父の家から独立し、勤勉と倹約に努め、24歳で家を再興させました。

    暮らしに困っている村人には、無利子でお金を貸しました。

    それを知った小田原藩士服部家に財政の建て直しを頼まれ、4年で成功させます。それが広まり、今度は小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれ、生涯に615の村々を立て直しました。天保の改革では、幕府に登用されます。

 金次郎は桜町領を再興するときに、武士の位を授けられ、二宮尊徳となりました。

   二宮金次郎の銅像が作られ始めたのは、大正時代。全国に広まります。戦時中は、金属没収の対象になり、今では、「本を読みながら歩くのは危険」という理由で撤去されることもあり、なんと座って本を読む銅像もあるそうです。

    新聞記事によれば、現在の二宮家の当主が「どれも史実に忠実とは言えません。」と話されています。

「幼少から読書を重ねた」ではなく、「読み書きを学んだのは10代後半」だそうです。

「少年期に堤防工事をする村人に自ら進んで草鞋を配る」は、信頼に足る根拠はないそうです。

   さらに「修身」に登場したのは、自由民権運動に手を焼いた明治政府に都合のよい人物像だったと当主は考えているそうです。

  二宮金次郎のことが初めてわかりました。一つ賢くなりました。

名言「道徳を忘れた経済は、罪悪である。経済を忘れた道徳は寝言である。」